
山内 久士
代表取締役
大阪府出身。大阪工業大学工学部土木工学科卒。
- 1995年
- 子供の頃から興味のあった作ることを学ぶため、大学在学中にダブルスクールで大阪造形センターで造形を学ぶ。
- 1998年
- 株式会社美光社入社。FRP造形製作、現場施工に従事。
- 2000年
- 四次元工作舎として大阪府八尾市で独立開業。
山内 明香
財務、商品企画開発など 担当
長野県出身。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科。
- 1995年
- 大学を中退し、大阪造形センターに入学。作品制作や関西のアングラ劇団、芸術家、実験映画などに触れる。
- 1996年頃より
- 株式会社“S“ワンダーランドにて造形製作ペイントスタッフとして従事、以降フリーでペイント職人として活動。
- 2000年
- 四次元工作舎開業にともないスタッフとして従事。
- 2011年
- Nodoka でオリジナル商品の開発に着手。以降ワークショップやプロダクト制作などの活動を継続中。
コンドウ
美大でデザインを学び、グラフィックデザイナーを経て造形工房四次元へ入社
YouTubeウロとボエのモノづくり大冒険
デザインTシャツ
サイトウ
専門学校で特殊造形を学び造形工房四次元へ入社。
タムラ
大学卒業後保育士として就職後、専門学校で特殊メイクを学び造形工房四次元へ入社。
よじげんスタッフインタビュー
「造形屋」という仕事を知っていた?インターネットが電話回線だった頃よりメジャーな仕事になったのか?





まだネットが電話回線の頃やから造形屋なんて仕事を知る機会がなくて、大きな人形を手作業で作っていると知って「こんな仕事があるんやぁ!」と感動した。
ネットが普及した今、みんなは造形屋という仕事はすぐに見つけられたのかな?




設計とか内装関係の業界人くらいしか知らんと思います。
ぼくは逆にそれが謎めいていて面白いと思ってます。あまり人に知られていないけど、テーマパークなどで僕らが作ったモノはたくさんの人が見ているというのがいいですよね。

造形屋になるまでの間にそれぞれが経験したことや影響を受けたもの


おばちゃんの顔が割れる造形などCGではなく実際に作って動かしている感じがいいんですよ。



通っていたのは19、20歳のころで、自由に作品の製作ができる教室だった。友人たちとスクールの階段を全面壁画で埋めて、ただでさえ狭い階段の途中に地獄みたいな拙い絵の門を作ったら、「ギャラリーやスクールに来る人の邪魔だ」って怒られたり(笑)
でも、その頃から友人たちや今のダンナ(社長)とこういう仕事を一緒にしたいねって話してたな。

でもその恩師が亡くなったと聞いて、未熟な自分を思い知らされながらも企画展ができたことは良かったな。
学校や個人で作る事と仕事として造形屋で作ること、作る喜びはつながっている










造形工房四次元はどんな会社なのか?


最近は、おおきなプロジェクトの一部を担ったりさせてもらっていて、それは実績や信頼がないとできない仕事やから非常にありがたいことだけど、もっと自由に単純に楽しんでできる仕事もしたいね。
商品開発の方は、事業としてはまだまだ独り立ちできるようなものではないけど、新しいことへのチャレンジや技術の探求という意味ではもっと自由だと思うので、これからも挑戦していきたいね。
